遊侠 沓掛時次郎@新国立劇場 小劇場
段田安則の演技で、自分の中のお芝居を見る感覚、みたいなものを、いつもいつも調律してもらっているんだなぁ、というのを改めて実感した。
段田さんの芝居が、私の好きな芝居の基本軸になっているのかもしれない。
今日も、劇中劇の中で袂をたくし上げることで時間を稼いで、その間に背後にいた女子供を逃してやる。という芝居を最もやすやすとしておられて、惚れ惚れした。
普通の人がやると、ただ袂をたくし上げているだけ、になりがちだと思うのだけれど、段田さんがやると、たくし上げる動作をしながら、自分の見えていない背面に意識を向けているのが分かる。
芝居の方向性がブレることなく確実に伝わってくるので、段田さんに意識を合わせて観ているとだんだん気持ちが良くなってくる。
今日も気持ちが良かったです。
声も仕草も色っぽいし。
シス・カンパニーの日本文学シアターシリーズは、第1回目の『グッドバイ』は見ておらず、2回目の『草枕』は小泉今日子大好きなので、複数回楽しく観劇。好きな芝居の一つ。
今回も、初回から同様、作・北村想、演出・寺十吾だったわけですが、
私、この二人の芝居の雰囲気、好きだわ。
戯曲からも演出からも芝居に対しての誠実さがたくさん伝わってくる上に、お互いの軽やかさやユーモアも合っているのではないだろうか。
演出の寺十さんがもしかしたら、楽しんで北村さんの軽やかさに合わせられる人なのかもしれない。
北村さんの戯曲は、スマホやJKという単語が飛び交う現在と芝居小屋、古い任侠の世界とが綯い交ぜになるところに面白味がある。
重くなく軽く、時代や長谷川伸さんの複数の作品が、渦巻いて、ひとつの芝居になっていく。
いろんな色のわたあめが、混ざって回ってどんどん大きくなっていって、でも食べるとふわっと甘さを残して口の中で溶ける。
そんな感じ。
だから、寺十さんが巧みにわたあめを作る、手際の良い屋台のおっちゃん、みたいなイメージかもしれない。
ずっと心配しているのだけれど、浅野和之さんが体調不良のため休演されていて、代役で寺十さん、そして途中から松澤一之さんが入っている、この公演。
この役は段田さん演じる時次郎の敵役。
浅野さんと松澤さんだと、柄が違うので、芝居全体の印象もだいぶ変わっただろうなと、想像する。
(うまい例えが浮かばないので新感線で例えると←、粟根さんのところに、右近さんが入ったようなもの、だろーか。)
浅野さんとの対決ももちろん見たかったのだけれど、松澤さんでも、また遊眠社。今の今まで層が厚いぜ、劇団夢の遊眠社。
西尾さんの役がいい役だった。
段田さんに兄の面影、そして恋心を抱いているのだけれど、段田さんも段田さんでそれを察して、さらりと、でもピシャッと線を引くものだから、切なく、哀しい女性。
芝居の世界の出来事と現実の出来事とがリンクしていくラスト。
この戯曲の構造が、脳味噌を刺激してくれる。
芝居は芝居、だけれど、何もかも現実でも起こり得ることで、だからこそ芝居が生まれるんだ。
ランボーや20歳のエチュード、どんな本を読んでいるかでも人が浮かび上がってくるし、そこから心の繋がりも生まれるのだなぁ。(両方読んだことも、見たこともねぇや)
余計な飾り気がなく、上質なシスの芝居。
抜きと緊張のバランスが抜群な段田安則の芝居。
で、芝居観る勘を気持ちよく調律。
またよろしくお願いします。