見えても 見えなくても@中野 ザ・ポケット

TARAKOさんと渡辺さん、このお二人、本当に優しい。

 

作品からたくさんの優しさと、親しい人を亡くしてしまった哀しさと、それでも、だからこそ、ちゃんと今を生きよう!という前向きさが伝わってきた。
やさしい。ほんとうに。

 

漫才トリオを組んで活動している昌子(TARAKO)と千恵子(渡辺菜生子)とあき(緒月遠麻)。身長も年齢も凸凹だけれど、それでも息の合った良いトリオ。

 

しかし、千恵子が突然亡くなる。

 

三人の共通の夢であった漫才の大会は目前に迫る。
そもそもトリオでやってきた漫才を二人で続けるのか?っていうか、千恵子があまりに突然居なくなってしまって、そもそもその事実を受け止めきれない。
夢ならいいのに…のまま流れて行く時間。
死んだ人の声が、想いが、聞けたらいいな。

 

でも、そんなものは聞けないんだ。
だけど、きっとあの人ならこう思うんじゃないか?きっとこうして欲しいんじゃないか?
きっと、きっと、きっと……としかもう言えないのだけれど、居なくなった大切な人を想って少しでも行動してゆくほかない。
どんなに時間が経っても、ぽっかり心に空いた穴は埋まらない。


あきとの時間よりも、より多く一緒の時を過ごしてきた昌子と千恵子。
「千恵子がいなくなった今の私の気持ちは、あきにはわからない!!」
と感情的になってしまった後、昌子はハッとしてあきに頭を下げる。

 

まずこの場面が好きだった。

 

ペコリとしたTARAKOさんの芝居に、TARAKOさん自身の柔らかい優しさが滲む。


あとは、千恵子が死んだショックから体調を崩した昌子が、元気になってきて、即、お粥などを通り越して、ガツガツ食ってます!といった、それ。
『アンナチュラル 』の野木亜紀子さんもそうなんだけど、「死にたくなるほど哀しい」なんて例えたくなる出来事があっても実際死ねないし、腹減るし、だったら食おう。美味いもの、ガツガツ食おう、肉。みたいな。

 

「生きる」を「食べる」に結び付ける根本を向いた強さが好きだ。

 

芝居全体が芯から優しくて、そして生きることに強い。


昌子、千恵子、あきの関係、師匠(中尾隆聖)との関係、漫才の細部……詰められる部分は山ほどあるとは思ったのだけれど、まず生理的にこの芝居を創った方々のことを好きだと思えるので、まぁそこが揺らがないのが一番だから、細かいところは良いかな?と。


ファンになって10年経つらしいよ!な我が贔屓、緒月遠麻さんは相変わらずの、周りとも馴染むのにこの人だけの独特の間と、こもるのに聞き取り易い台詞声と、実は美人なのに表情の作り方で妙に面白く見える顔と、長身と地味な華やかさを存分に生かして、このメンバーの中で楽しそうに芝居をしておられました。よかった。

 

漫才の時の服、生地、自分の好みで選んだろ?

 

あの生地気になって仕方がなかったわ。

 

緒月さんの芝居は、ヘルプマンから全て見るのをやめようと思いました。伊賀の花嫁?とやらも見ていない。
今回はまた見ようかなって思えたから、観た。


突然、愛おしい人を亡くすことから産まれた芝居

大杉漣さんのことを思い続けた。
漣くんは私が大好きな勝村政信が大好きだった人だ。お正月の番組でチューしてたし、ソナチネあったし、間違いない。
漣くんに甘える勝村さんはすごく可愛い。漣くんも一緒に可愛い。
私自身もバイプレイヤーズの中だと、そもそも顔からして漣くんがイチ推しでタイプ。
好きな人の好きな人は私にとっても好きな人。
突然過ぎてやっぱり今も信じられない。
でももう、漣さんの身体は火葬されて、骨と灰になっているのでしょう。
あのイケオジの身体が、心が、事実もうなくて、動きもしないだなんて、信じられる?
私、1ヶ月前に『秘密の花園』の客席で漣さん見掛けたんだよ。
見掛けただけだけれど、歩いてて、好みの顔してて、唐十郎の芝居でぶっ飛ぶ田口トモロヲを同じ空間で共有してた。

 

この時の記憶で、止まった。止めたい。

 

漣さんは、役者だ。
亡くなった当日まで、バイプレを撮り続けていた、役者だ。

 

芸人さんの話だった『見えても 見えなくても』の中で「芸人に対する一番の供養は笑うこと」という台詞があった。
だったら、大杉漣と知り合いでもなんでもねぇ私でもできる、大杉さんへの、役者さんにとっての一番の供養は「観ること」で良いですか?

 

もう娯楽を超えて、供養かよ。
勘三郎さん、蜷川さん、漣さん!!

 

「大杉死んでない!みんなの心の中にいるよ!」
ジャスミン、心の叫び。

 

もう演劇を観ること。
プレイ。祈りを帯びますね。