修羅天魔 髑髏城の七人 Season極@ステージアラウンド東京

修羅だ。天海祐希は。

 

3月、初日開けてから1週間ほどの時に初見、そして野田地図会見のあった今日、2回目を観てまいりました。

初見は5列目、やや下手よりセンターブロック。今日は7列目の下手。

これまでの髑髏城では13列目より前に座ったことがない私にとっては、極でこの席が出たのは神の思し召し。

 

神とは天海祐希のことか。

 

だいぶ下手側の席だったので、ラストの極楽の回想回転シーンを真横から見るような視点になった。

天海祐希が見つめる観客の横顔が私の席からも見える。

 

この女優、満席1314人の観客の視線を一手に引き受けて、まるで負けない。

負けないどころか輝きで刺激し返す。

なんてふてぶてしく、高慢な人だろうか。 

 

テレビや雑誌のインタビューなどで見せる姿はいつだって謙虚で、質素で、可愛らしくもあるのに、舞台の上の天海祐希はこれ以上ないほど自分が美しく優れた存在であることを知っている。

高慢、というと「他をあなどる」いう意味も含んでしまうのだけれど、誰かをあなどることはせず、でも自分をありったけ見せつけてくる。普通の人間の所業ではないと思った。姿形だけでなく神経のつくりも、違う。神々しさ。

 

修羅か。天海祐希は。

 

私はそんな天海さんが大好きで、好きで、好きで、観ているだけ泣けてしまう。大人は泣けてしまうんだ。

この感覚になるのは、天海さんだけだなぁ。それも新感線の天海祐希が格別。

 

今日だと、天魔王にキスされたあとに絶対零度に落ちる、あの凛々しき冷徹さに惹かれた。

瞳からそういう瞬間だけ光が消える。

優れた女にしかできない瞳の芝居。

天海さんは、こういう表現のディテールの積み重ねで演技を作っているにも関わらず、その細部を大劇場規模にまで伝えきる見せ方と華を持っている。

音と動きを合わせて見得を切る、みたいなことが抜群に上手い。

 

でも、こんなに細かく様々な積み重ねを経て芝居を作っているのに、それがその日の感情の動きによって揺れるのが、天海祐希のまた面白いところ!

 

今日見た極楽は、声の出し方が特に漢度高い、高い。

べらんめぇ口調になる感じとか、ビルかよ?(笑)と思うぐらい、ハキハキと台詞が潔く強め。

初見の時の方が、渡り遊女らしく、もう少ししなやかで、はんなりしていた気がする。

 

オオアマやるよ、男役やるよって会見してきたからなんですか?天海の姐さん。

 

って思っちゃう。

 

ライビュも行くことにしたし、あと2回劇場でのチケットも持っているので、とことん天海祐希を楽しもうと思う。

 

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あ、今日見てて、原田保照明さすが!と思ったところ。

天魔王が影なのか本物なのか?という髑髏城での、極楽と二人の場面。

あれ照明で、だと思うんだけど、天魔王の影が青と赤に分かれて浮かび上がってた。

そう、あの一人の中に二人、いる。

だから極楽が迷う、動揺する。

さすがな視覚効果。

 

また作品全体についてもいずれ。

一番髑髏城を見たぞ!ってなったのは、やっぱり花だったかな?その次が下弦かな、みたいな感じでは観ております。