毒おんな 千穐楽 3回目@ザ・スズナリ
私が小泉今日子という人が好きな大きな理由のひとつに、
「絶えず変化し続けているから」
というのがある。
時流を読むのに長けていて、更にその中で自分がどう存在したら良いか、をものすごいスピードで判断して、実行まで持ち込める、すっごいナチュラルクレバーな人だと感じていて、そんなところをとても好きでいる。
芝居でも同じだなぁ。
良い意味で空気を的確に読んで、変わる。「小泉今日子」という軸はブレないまま、変わる。
ちょっとふてぶてしさが増したり、妖艶さが増したり、単純に声の強弱が変わっていたり……カエデという役自体はブレていないのに、なんだか千穐楽の今日は、今までよりも更に輪郭がはっきりとしたカエデに出逢えた気がした。
外波山さんがカーテンコールで、独立後初の仕事が椿組のスズナリだった〜〜みたいなお話を。
照れ、というか、『独立後初か、な??初?うーーん初なのかな?初かも?(アイドル笑顔首かしげ)』みたいな顔して笑ってた。
芸能界という峠ではなんだかんだ負けないみたいな、頭文字Dみたいな、そんな感じで、キレッキレを攻める、そのテクニックつーか、卓越したバランス感覚を『毒おんな』からも感じられて、楽しかったです。
ピーター・ブルックが、『なにもない空間』の中で、劇が生命を得るためには、「反復 表現 援助」が必要なんだけど、これだけだと本質が欠けているって言っていて…それは、演劇においての真理はつねに動いているからだ、って。
小泉さんて、生き方そのものがドラマみたいなところあるし、「演劇」ってそういう意味でも合ってるのかもしれないなぁ。
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3回見て、どのシーン、どの台詞が一番好きだったかな?と思うと、福本さんと岡村さんのラストシーンだったかな、と。
殺しなさいよ
できるかボケ
絶対死なないから
死ねバカ
なやり取り。
みんなこういう鬱屈は抱えながらも、なんだかんだ生きて行く。モヤモヤしたままだけどまぁ生きてこうぜ、って気分にはなる。
素直に笑いあえる日々が、この先、あの夫婦に訪れますように。
そして、カエデは逃げろ。
この人は、真っ白な雪の下に死体を埋め続けて、その上に立ち尽くすのが、もはや美しく似合ってしまう人。
あぁ相米慎二監督の『風花』的な雰囲気も。あとあれも思い出す、槇村さとる『おいしい関係』の可奈子さん。
もう因果を断ち切って、新しく産まれなおすには母親に会って、一回殺すしかないんじゃないの、この人は。
それかもう母親に会わずに警察に捕まって、監獄に入れられて、お節介ババア冷麺になってババアの仲間と可愛い勇介に出逢い、角刈りの技術を身につけて、更生するか。
哀しいままではいてほしくないな。
更生して生きなおせたらいいな。
全然違和感なかったけど、小泉今日子の初スズナリ興味深く拝見させていただきました。
小泉今日子も器が大きいけど、スズナリっていう劇場も負けじと色んなモノを受け入れてくれる。
いい小屋!スキ!!
またいつかスズナリでも…