Garigaraseru

◎お芝居と食べ物のきろく◎

赤道の下のマクベス@新国立劇場 小劇場

40代以降の観劇に向けて、もうこの見方のままではいられない。

 

感覚だけで芝居を観ていて許された?のが10〜20代だとしたら、30代、今の私はそれまでまったく足りていなかった知識を身に付けた上で、これから先、芝居と出逢いたい。出逢わなくてはいけない。

そうでなければ、どんなに良い芝居と出逢っても自分のせいでその出逢いを貧弱なものにしてしまうと『赤道の下のマクベス』を観て改めて思った。

 

BC級戦犯に問われた、死刑囚たちの監獄の中での話。場所はシンガポールチャンギ刑務所。1947年、夏。

朝鮮人と日本人が収容される独房が6部屋あり、その全てが中庭に面していて、みんな中庭への出入りは自由に許されている様子。

演劇に憧れ、ボロボロになるまで『マクベス』の戯曲を読み込んでいるナムソン(池内博之)。と、いうと真っ直ぐな演劇青年という感じだけれど、平田満さん(役名忘れた)と囲碁を打っていて、負けそうになるとひっくり返すし、6人の中だと一番年下らしいムンピョン(尾上寛之)がメソメソしていると怒声を浴びせながらからかいにいくし、下ネタ日常茶飯事だし、楽観的でカラカラと能天気な雰囲気を漂わせた、お腹の筋肉が6つに割れた男、だった。

 

彼は『マクベス』を読んでいる。

なぜマクベスはダンカンを殺したのか。

殺さなくとも王にはきっとなれたのに。

マクベスは破滅への道を自ら選んだんだ。

じゃあ自分は?

理不尽としか言いようのない罪で、朝鮮人であるのに日本人として死刑を待つだけの身だ。

理不尽?

違う?違う選択はできなかったのか?

あのとき、あの場所で。

出来たはずだ。

マクベスがダンカンを殺し破滅の道を自ら選んだように、自分も自分であの時、破滅への道を選んだんだ…!!!!

 

いつもいつもうざったいぐらいに軽く振る舞っていたナムソンが、憧れ続けた『マクベス』をキッカケとして思いを吐露する。

 

違う!!!!

あれ以外の選択肢なんかあの時なかった…

 

とナムソンの同胞が叫ぶ。

 

 

劇としてそれぞれが、それぞれ、今この監獄にいる理由が語られる場面があるのだけれど、その情景が目に浮かぶ。

この監獄の様子も「事実」と頭の中でリンクしながら芝居を観続けることになる。

たった70年ばかり前の話でしかない。たった70年前だ。いま私が会って話して一緒にご飯を食べることができる祖母も70年前には生まれている。そう遠い昔の話ではない。

 

一体誰が悪いのだろうか。

この人たちが死刑になる理由、その大元の命令を下した人物を辿っても、その像はとても巨大で、黒く蠢いていて、それでいてぼやけており、もう到底「人」ではないような気がしてくる。

「人」の中の悪の塊のような。

もし劇中でも挙がっていたような特定の「誰か」をあなたのせいだと罰したとしても、またむくむくとわき上がってくるのだろう、黒い何か。

 

みんなが、

知らないまま。

考えないこと。

関係がないと思うままでいることが、この黒い悪意の正体なのだと思う。

 

だとすると、私、自身にも、責任がある。

泣いてるだけじゃいけない。 

 

頭の良い人たちは、どこでこういうことを知って、学んで、どこで気が付くんだろうか。

学校での勉強は、試験に向けて覚えるだけで、それをきちんと現実と結びつけるような学び方を自分はしてこなかった。

演劇に出会ってそのことに気付かされたけれど、観るのばっかり楽しくて10代から20代の10年間も結局学びに結びつけず過ごしてしまったので、30代になって感じるこの欠落感。

 

蜷川幸雄に怒られる。

 

と頭の片隅でずっと思ってたりしていて、実は。

蜷川幸雄に恥じない観客になる、という途方も無い目標だけは掲げて、ちょっとでも疾走する観客でいたいと、その為の30代の10年間を。

 

でないと、10代の終わりから2016年までに私が蜷川幸雄から受け取ったたくさんの作品たちを、私が自分の中に残すことができず、私が枯らしてしまう。せっかく何本も何本も観せてもらったのに。もう観られないのに。過剰なまでに自分の中に残しておくために…!

 

『赤道の下のマクベス』を観てこれ書き始めたわけだけれど、こういうヒリヒリした感情が湧き上がる芝居だった。

 

 

 

平田さんが、死刑実行の日のナムソンを父親の代わりとして抱き締めるシーンがあるのだけれど、もはやこのシーンの平田満は神様に近かった。

ナムソンの父親でもあり、平田さんの役自身でもあり、でももっとそういう存在を超えて、池内さん演じるナムソンの全てを抱き締めて、包み込んでいた。

 

男臭い芝居なんです。

男しか出てこないし、監獄の話だし、赤道の下で暑いし。

 

でもこの男臭さも芝居の魅力。

カーテンコールが、一回一回の公演を生き切った、その絆と、達成感や責任感なら満ちていて清々しかった。役者さんみんな格好良かった。

 

3月25日まで、新国立劇場小劇場で。

その後、兵庫、豊橋、北九州でも上演。

是非。

演劇は本当に強いです。

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