マイ・ラスト・ソング~久世さんが残してくれた歌~@Billboard Live 東京
ふわふわ、ゆらゆらして気持ちの良い公演。
このふわふわとゆらゆらの理由が、わたしの中で今日やっと見えた気がした。
久世光彦さんが愛した数々の曲を、小泉今日子さんの朗読と浜田真理子さんの歌で、届け、伝える『マイ・ラスト・ソング』。
2008年、世田谷パブリックシアターではじまったこの公演は、久世さんや浜田さんに縁のある土地や、然るべき人に呼んだいただければどこででもやりますよ?なスタイルで各地で公演を重ね、今年で10年目を迎える。
私が初めてこの公演に足を運んだのが、2016年の三越劇場での上演。
おそらく小泉さんが読む久世さんのエッセイや、浜田さんが歌う曲を毎回変えつつ、今までやってきたのだと思う。
ちなみに今回は3月にBillboard(東京・大阪)で公演したのち、少し間を空けて4月にBillboard東京での追加公演が決まり、私は3月に1度、そして千穐楽となる4月15日の夜公演と2度、今回の『マイ・ラスト・ソング』を楽しんだ。
で、ふわふわとゆらゆらの理由。
浜田さんって、割と若い時期に大切な人を亡くしていたり、そういう経験がある方……か、な?
浜田さんの歌声は、狭間に響く歌声だと感じた。
生と死の間であったり、嬉しいのに悲しい時とか、間(あわい)に響く歌。
糸井重里さんがキョンキョンについて何かで語った時、「間(あわい)の人」と評していたことがあったと思うのだけれど、それに通じる形で、浜田さんの歌に関しても、やはり「間」と書いて「あわい」を感じる。だから小泉さんと共鳴するんじゃないだろうか。
哀しいだけが全てではない。
あえてカラッとした明るさも込めた優しい鎮魂歌。
「死者」に向けて歌われる歌のように感じられた。
それが久世さんに向けた、この『マイ・ラスト・ソング』という公演だからなのか、浜田さんがもともと持っておられるパーソナリティなのかは実際のところわからないのだけれど、なんとなく今日歌を聴いていた限りだと、後者のように思えた。
小泉さんもわりといつも「死」というものをそう遠いものではなく感じている人というか、らしい距離感を保っているなと感じる人。
その浜田さんの生と死の間に響く歌と、小泉さんの今は亡き久世さんへの想い…… 二人の意識が、実態のない、人の目には見えない狭間、あわい…に向けらている。
イメージされるのが、深い海の底、とか子宮の中、とかなんだかそういう場所。
子宮の中とかそんなん知らんけど、でも水があって、静かで、ひっそりしてて、ちょっとあったかくて、優しい空間。
だから、ふわふわ、ゆらゆら、する。
1階席ではなく上の階から見ていたせいもあるのだろうか。二人の気持ちが、何もない、ちょっと上の方の空間に向いている気がした。
私もやはり死んでしまった人を思うとき、下を向かず、上を、空を見る。
浜田さんと小泉さんの、間(あわい)、を思う気持ちが優しく手を取り合うのを、しっとりと眺めるようなオトナな公演。心地の良い贅沢をさせていただきました。
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にしても、Billboardに行って、お酒飲みながらライブを観ていると「大人になったなぁぁぁ」とめっちゃくちゃ思う(笑)
六本木、ミッドタウン、お酒、食事、音楽、夜景
おぉうっ、そうか、そうか。
私は音楽系のなにかのファンではないので、初めてビルボードに行ったのも小泉さんがゲストで歌うからで、その後、KERAさんがライブするからってそれでまた一人で行って、3月のマイラストソングは友だちと1階席で、この日はまた1人。
音楽を楽しむためというより、誰か目当てで訪れて、一緒に音楽も楽しませてもらってる。
お腹鳴ったらイヤだったので、ホットサンド頼んで食べた。
▲具はキノコとベーコン
これ結構ボリューミーで、わたしがイヤなもの一切入ってなくて、おいしかった。特別ではないけど普通においしいヤツ。また食べよ。
1階席なんかだと特に、音楽と食事。
文化と文化の交差っていうか、大人にならなきゃ味わえない遊びの場だと思う。。。のは、私の普段がこういう場所とかけ離れてるからかもしれないけど…!
ま、スニーカーとかでなく、ヒール履いて、好きな服着て出掛けたいと思えるところがあるのもいいな〜
小泉さんキッカケがなければ、私は足を踏み入れなかった所だと思うので、そういう意味でも小泉さんにちょっと感謝。
良い時間をありがとうございました。
(小泉さん自身の歌も、ビルボードで聴きたいなあ〜〜)