Garigaraseru

◎お芝居と食べ物のきろく◎

ぶりの塩焼きご飯@家

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最近食べた美味しかったもの、なんだろうなぁ〜とカメラロール眺めていたら、まぁいろいろあるんだけれど、これも美味しかったんだよな!って。

前日の夕飯のぶりの塩焼きが次の日もまだ残っていて、脂と塩の塩梅がちょうど良くてすごくおいしいぶりだったから、はっ!となる。

細々と身をほぐして、白いご飯の上に乗せて、お塩パラパラして、お醤油ひと回しして、パクッ!といったら、最高だった。

お肉に行きがちだけれど、魚も美味しいって実感を与えてくれた、ぶりちゃん。

美味しいよ、綺麗!って思いながら写真を撮ると心なしか、より美味しそうに撮れる気がする。

アベンジャーズ エンドゲーム@映画館

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とにかくナターシャが死んでしまったことが悲しいのだけれど、友人と比べると、どこか割り切って受け止めている部分が、自分は大きいかもしれないなと感じ始めていて、その理由のひとつとして浮かび上がってきたのが“中村勘三郎”さんだ。

 

勘三郎さんは、2012年の12月5日、突然この世からいなくなってしまった。

うっすらとでも病状が耳に入ってくるようなファンでもなかったので、私にとっては本当に突然だった。

ただただ漠然と病気を治して帰ってきてくれて、舞台の上の勘三郎さんにまた会える。と信じて疑っていなかったのに、だ。

 

ただただ漠然とソウルストーンを手にして帰ってきてくれて、また会える。と信じて疑っていなかったのに、だ。

 

うん、スティーブ・ロジャース

 

人って、こんなに突然いなくなってしまうんだ、会えなくなってしまうんだ、とあんなに泣いたことはない。

身近な死として祖父母の死などは経験したけれど、覚悟があっての死だった。

こんなにも突然ではない。受け入れるまで、考えたり、一緒に過ごしたりする時間があった。

 

でもそれが叶わない死もある。

人は突然いなくなる。

 

私にそのことを今までで一番実感させたのが、あの日、勘三郎さんが亡くなったことで、もちろん勘三郎さんは身近な人ではなかったけれど、演劇の、歌舞伎の熱さを教えてくれた、私が大好きな人の大好きな人で私にとっても大好きな人だった。

そうだ、勘三郎さんもヒーローだった。

 

ナターシャの死を、不思議といま、この勘三郎さんへの感情と重ねている。

 

 

さらに続ける。

勘三郎さんが亡くなった世界線が続いていて、今、がある。

この今が、もう、実は勘三郎さんが亡くなってしまったから成立している、愛おしい世界に変わってきてもいる。

いつだって寂しいし、観られるものならまた観たい。と思うけれど、でも単純に、勘三郎さんがご存命であれば、なかったと思うんですよね、あのキャストで、あの時期での、歌舞伎座での『桜の森の満開の下』は。

 

みたいなことで、トニー・スタークやナターシャ・ロマノフがいない世界で、けれども前に進み続けると、言い方が難しいけれど、いないからこその喜びや強さにも出会える可能性がある、というようなことも、ちょっとだけわかるようになった気がする。

 

大げさかもしれないけれど、勘三郎さんは思いの外、私の死生観?に影響を与えていて、「仕方がない」と「それでも未来はある」の二点から『エンドゲーム』を捉えた時、ナターシャとトニーの死を受け入れようとしてしまう感情が、人より多く働くのかな、と。

 

 

理由その2。

これは、やっぱり友人とやり取りしていて気がついたことなのだけれど、舞台を見た時とかのじぶんの好きの最上級に「戯曲ください!!!!」というのがあって、『エンドゲーム』はまさにそれ。

 

なんだこのとてつもない偉業を成し遂げたプロットは!

美しい(涙)

プロット美しい(涙)

素晴らしい(涙)

戦争より愛し合おうぜ(涙)

すごいよ、これ(涙)

 

物語の展開の美しさに泣いた。ゾクゾクした。超ゾクゾクした。天才かよ。

序盤でIW後の敗北感、絶望を見せ、中盤で仲間集め、作戦会議から実行、終盤でアクションと進んでいくけれど、まぁこの真ん中ですよね。真ん中ものすごいと思う。

 

NEW YORK 2012

 

とかテロップが出て、あの時、別の場所では…となる、展開の連続。

過去作全て見てきたファンたちへの、これでもかというほどの波状攻撃。

いやもう、思わず、ハイルヒドラ、ですよ。

 

ここに辿り着くまで21作品もの映画があったはずなのに、どの映画からもぐっとくるポイントが、エンドゲームの流れの中に集約されていて、私ですらこんなに胸が熱くなるのだから、もっともっと深いファンの方々は、もう息できるかできないかの狭間ぐらいまで落とされたと思う。

惚れるわ。

もう一度言うけれど、エンドゲームの流れの中に集約されていた、というのが見事としか言いようがない。

 

見たかったことが本当に全て詰まっていた。

こんな映画体験ができるのかと、本当に感動して、本当に嬉しくて、本当にありがとう。と思った。間に合ってよかった。

I LOVE 3000.

 

映画そのものの流れ、物語への「3000回愛してる」がナットちゃんとトニーの死を内包しちゃったんですよね。

だから、おそらく友人よりも死への悲しみ度?が低い。

この流れの美しさは、ナターシャとトニーの死があったからこそ。

もう世に出てしまったからには、別のシナリオが検討されていた、とか言われても取り消せないわけで、現時点で6回見ていても、ナターシャがヴォーミアに行くだけで泣くし、「トニー・スタークにもハートがある」で泣くし、この悲しみに嘘はない、と思うのだけれど、この辛さを含めて丸ごと『エンドゲーム』。

こんなにも毎回毎回いなくなってしまうことが悲しくてたまらなくなる人たちに、映画を通して出会えたことが幸せです。

 

でもブラック・ウィドウ大好きなので、最終決戦にナターシャがいないこと。

キャプテンマーベルを私たちが守る、と集結する女性ヒーローたちの中にナターシャがいないこと。

これから何度『エンドゲーム』を見ても、見るたびに「ここにいるナターシャが見たかった」と思い続ける。

今だって、あの戦場にいるナターシャの姿をずっと探している。

そして、もしかするとアベンジャーズのみんなも、特にオリジナル6たちは、こんな自分と同じようにナターシャを思いながら戦っているのかもしれない、と想像で共感して、みんなのことが大好きだと思いながら、祈るようにあの決戦を見つめている。

 

そして、このナターシャを思って戦った気持ちをも、あのクリントとワンダのシーンが受け止めてくれるのが『エンドゲーム』。

もう至れり尽くせり(涙)すごいこの映画(涙)

 

 

まずは上映が終わるその日まで、そしてその後も、大切に見続けたい作品。

また見終わったら、チーズバーガー食べるんだ。

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スカイツリー

電車に乗るとスカイツリーが見える。

私は毎日、毎日、その日スカイツリーがどんな風に見えるのか意識的に確かめている。

毎日、毎日見ているけれど、未だに2016年5月12日以上に透き通った、どこまでも見渡せそうな青さの中にあの塔が見える日はない。

 

昨日公演中止になっちゃったけど、今日からまた公演できるよ、蜷川さん。

よかったー。

私もまた今日からきっちり観てゆきます!

行くぜ、ロシア。

ナタ・デ・クリスチアノ@代々木公園

友人宅で新年会があったので、お土産買いに途中でクリスチアノ寄ろう!と思い立ち、閉店30分前ぐらいに到着。

何が残ってるのかなぁ?とお店に入ると、お姉さん、これが残ってるとのこと。

 

ボーロ・デ・クララ・コン・ショコラテ(カカオニブとチョコ入り小さなマフィン)

 

長い。名前、長い。

 

この前はパステル・デ・ナタ食べられたので、即決で、それください!で長い名前のチョコのやつ購入いたしました。

 

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▲ちっちゃくてかわいい。150円だったかな。

 

クリスチアノのお菓子、ぱっと見ちっちゃいな、って正直なるのですが、食べると超満足。

これは中にカリカリするカカオニブが入っていて食感が良くて、周りのマフィン部分がまた甘さ絶妙で、カカオの香り、味をまったくもって妨げない!

口から鼻にかけて、ふわん、ってする。

 

美味しいなぁ。。。

 

最近、またこの先のちょっと歩いた、富ヶ谷にあるminimalのチョコレートにもプチハマりしているのだけれど、こういうお菓子にも作りの丁寧さっていうのは如実に現れるのだなと実感させていただいている。

 

食べ物も芝居もバランス良く、職人的細やかさがあって、でも派手過ぎない。むしろちょっとだけ地味。シンプル。

 

みたいな感じが好きみたい。

好きな味の食べ物を食べると、好きな芝居のタイプと同じ!!!!

ってパァっと頭の中で繋がって光が差すこと最近増えました。なるほどなぁ、っていつもなる。

 

クリスチアノのしょっぱい系も食べてみたい。きっと好きだろうな。

ほかのお菓子もきっと好きだろうな。

へへ、また行こう。

 

友人分を買い、自分用に2個持ち帰り、翌日朝ごはんとして食べたけど、やっぱり美味しくて、朝から楽しかった。

ホームページ見たら、あっためて食べてね、ってあったのにあっためなかったから、次はあったかくして食べたい。

 

ごちそうさまでしたー!

 

▽前行った時の記事▽

http://garigaraseru.hatenablog.com/entry/2018/04/02/160354

 

ナタ・デ・クリスチアノ
03-6804-9723
東京都渋谷区富ヶ谷1-14-16-103
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131810/13153384/

 

ル・モンド@新宿

年末の、もう何連勤なのか考えるのもやめた、その日食べたいものを我慢せずに食べる!ってことだけで、自分の機嫌を保っていた私をすごく救ってくれたステーキ。

 

ル・モンドリブロースステーキ

 

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▲これで1,000円!!

 

新宿でよく行列になっているお店なので存在は知っていて、いつか行きたいと思っていた。

昼に肉を欲した、このタイミングで。

 

想像していた10倍好きなお店だったぁぁぁ(涙)

もっと男っぽいステーキ屋さんだと思っていたんだけれど、バランスの良い洋食屋さん寄りだった。

お店の人も、ステーキに特化したクラシック洋食っぽい雰囲気。お肉が焼きあがるタイミングで声がかかり、手際よくライスをよそう。ライスの量も規定通り、目分量とかではない。

料理を提供するまでの流れが綺麗。キッチリとしている。

ホールのお姉さん明るくて感じが良くて、元気をいただいた。

 

そう、元気をいただき、ごちそうさま、美味しかったで帰るのが外食するってことだよなぁ。

 

そして美味しいものは安くても高くても(すげい高いものは食べたことないけど)、きれい!!

だって最高でしょう。

お肉の赤み、ポテトの黄色、いんげんの緑。

 

もっかい貼る。

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▲はい!きれい!

 

あとソースと、お肉の上のバター(バターなのかな?胡椒の香り)の塩加減。

個人的にはもう一味塩辛い方がご飯が進むんだけど、これワザとこの味で抑えてるんだろうなと思わせる安定感。

たぶんこのくらいの方がお肉とのバランスは良いはず。ソースが勝つんじゃない。塩味が足りないと思えば、少しお塩かけてもアリ。自分で調節可能なんじゃないかな。

 

好きな芝居と好きな味、お店は似ていて、こういう一見地味なんだけれど、細部まで気が届いている目の細かさ、職人的お仕事が好きだ。

最後にこのサラダっていうかレタス見てください。

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葉っぱだけ??と思ったら大間違い。ドレッシングのお酢加減、どタイプだったから。

最初に出されたこのなんの変哲も無いレタスに胸を突かれた。好き…。

 

 

ごちそうさまでした!

また行くー!

 

元気出た。

 

ル・モンド 新宿店

03-3343-7728

東京都新宿区西新宿1-16-11 1F

https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13006710/

2018→2019

振り返る間もなく2018年が終わってしまいましたが、振り返っておきたいので、振り返ってみます。

 

何はともあれ、2018年は、

『贋作 桜の森の満開の下』と『アベンジャーズ』の年

でした。

 

『贋作 桜の森の満開の下』は、なんていうかもう、すごかった、な。

いつ野田さんのこの作品の存在を知ったのかは、もう覚えていない。

演劇ファンになった私の中で、気がついたら野田秀樹の『贋作 桜の森の満開の下』と毬谷友子の夜長姫は伝説になっていて、一番観たかったけれど、生まれた時代で間に合わず、観られなかった作品、だった。

それがもう一昨年になりますね、2017年に歌舞伎座で観ることが叶い、舞台を観ながら走馬灯を観るという体験をし…って、死にそうになったわけではないですけどね、走馬灯。でもこれまでの、この作品に至るまでの私の中の記憶が、頭の中で次々蘇ってきて、それが全て今観ている場面に繋がって腑に落ちる、という不思議な体験をした。

これを観られたから、私の中の桜の森〜に対する情念も昇華された気がした。

 

の、ですが、しかし決まった野田地図版。

なんだあのキャスト、アホか、野田さん 、殺す気か、チケット取れんのか。

しかし、殺られる前に殺れ、だ。

演劇を見始めて今年でやっと14年目ぐらいになるのですが、この5年ぐらい出してなかった本気出して、獲りに行きました。狩り、狩り、チケット取りなんて狩りみたいなもん。

発売日前のヒリヒリする感じとか、スリルがあってたまんないですよね。

友だち総動員、ありがとう!とたくさんの感謝と共に、手元に舞い降りてきてくれたチケットちゃんたちは東京3枚、大阪1枚、北九州3枚の合計7枚。

千穐楽だけ当日券で観劇したので、観劇数としては8回。

過去、観ることがどうしても叶わなかった悔しさを1回、1回が埋めていってくれるような、得難い観劇体験でした。

 

どうしてもこの公演は勘三郎さんと切り離して考えることができなかったと、改めて振り返ってみても思います。

『足跡姫』から続いた野田さんの中村勘三郎追善公演が、野田地図版の桜の森〜でやっと幕を下ろしたような感覚があった。

『足跡姫』の初日を観劇していた勘九郎さんが、終演後の舞台を愛おしそうに眺めていた、あの眼差し。

『表に出ろいっ!』の再演で勘三郎さんとやってきた仕事をブラッシュアップして振り返り、歌舞伎座で『桜の森の満開の下』を上演。

ずっとずっと歌舞伎化の噂が絶えなかった桜の森〜が、勘九郎さんと七之助さんの耳男と夜長姫で上演された。途絶えた夢が、形を変えて次に繋がる希望の光になったようだった。

そこから更に一歩、野田さんが踏み出したのが野田地図版の『贋作 桜の森の満開の下』だったのかもしれない。

 

もういない、ことを確かめるように。

だけれども、いない、からこそ創ることをやめない。

彼がいたことを伝えることをやめない。

ずっとずっとずっとあの孤独で果がなく美しい桜の森の満開の下に座り続ける創作者の覚悟。

野田秀樹の想いを受け止めて、日本を代表する役者さんが集まり、素晴らしい作品を一丸となって作り上げてくれた。

こんなキャストが揃うこと、もう2度とないかもしれない!

 

アンサブルに至るまで完成度が高すぎて、古田新太ぐらいにしか隙がないのが唯一の欠点。

みたいなそんな作品でした。

 

深津さんの夜長姫が、役柄の重要度もあるけれど、これまでの全ての桜の森の満開の下を背中に背負って、そのまま舞台を駆け抜けて行ってくれた。

ものすごい男気とリスペクトで日々の舞台をつとめてくださっていたに違いない。

初日からずっと夜長姫だったのだけれど、あの小さな身体の中に毬谷友子中村七之助も内包して、エネルギーに変換し、更に猛スビードで坂道を下りていったのが、深津絵里の夜長姫でした。

深津さんの夜長姫に出逢えたこと、彼女の夜長姫が途中、毬谷友子の夜長姫をも見せてくれたこと、私は、本当に嬉しかったし、本当に感謝しています。

 

野田地図滞在中は自分も滞在しよっと、と軽率に北九州4泊したのもめちゃくちゃ楽しかったし、新しい呪いの始まりという感じで、清々しく、やっぱりここから逃れられないな!と実感させていただきました。

これからも末長く、野田秀樹が好き。

 

 

 

2018年のトピックスその2の『アベンジャーズ』。

洋画を見る楽しさを与えてくれた!

今まで映画館で観る映画は邦画ばかりで、洋画は大作であろうと傑作だろうと、さほど興味がなかったのに『アベンジャーズ』を見て、

 

楽しいものは全部見ようぜ。

 

とすっかり気持ちを変えさせられた。外国人俳優の顔の見分けもつくようになった。

おかげで、生まれて初めてお盆に合わせて、大作がなんかいっぱい上映される!というお祭り体験も知ることができました。

ジュラシックワールド』『オーシャンズ8』『ミッションインポッシブル』

を全て見たよ、面白かったよね、この3作はいちお抑えよっ!と嬉々として映画館に足を運んでいた自分も面白かったよね。

クリプラかわいい、ルーデビかわいい、イーサン死ぬな。

 

あぁ楽しいって増やせるんだなぁ。

としみじみ実感できて、それもとても嬉しかった。

楽しそうなことにはどんどん首を突っ込んで生きていこう!

と改めて思えた。

 

そして、そんな決意早々首根っこ向こうから掴んできて、頭から私を沼に沈めたのが、東京コミコン。

マチソワって何?と同じ感じでコミコンって何?状態だったんですよ。

いや今もよくわかってない。

あれは、11月21日だったと思います。

『贋作 桜の森の満開の下』のマチネを「この観劇が最後になるかもしれない」と噛み締めるように見終えて、寂しいけれど満たされた気持ちでいたところ、

 

ねぇ!!!!コミコン!!!!!

 

とURLの入った、LINEが、友人から。

アンソニー・マッキーやらセバスチャン・スタンが来日キャンセル、というニュースは横目で見ていて「やっぱりハリウッドスターの日程を抑えるのは大変なんだねぇ」なんて、いつかの日の参考に、ぐらいの気持ちで眺めていたら、その穴埋めに、

 

ジェレミー・レナー来るってよ。

 

いやいやいやいやいやいやいやいや、え?え??嘘でしょ?なんで?あと10日後にはもう来日してんじゃん。え、今さ、桜の森見終わって、もうそれだけで胸がいっぱいなのね?わかります?わかりませんよね。え、なんだって?ジェレミーレナーがコミコン?だからコミコンってなんなんだよ!!わかんない、こわいよー、嘘でしょー。なんだー?コミコンってー。

(芸劇のB1、ソファーで受け止めきれず、灰になる。本当にしばらく動けなかった。笑)

 

で、ちょうど一ヶ月前だ。12月1日、2日で行きましたよ、コミコン。

両日共撮影&サインの全4回会うぞ!構成で。訳わかんないままGo to 海浜幕張

 

ジェレミー・レナーは実在した。

 

顔とスタイルがどタイプなのは映像を見ていても感じていたけれど、でも実際にその人本人がそこにいる衝撃。動いて、話しているという衝撃。あの声で。

1日目の撮影時、ジェレミーが腰に回そうとしてくれた右手が私の左手とぶつかったのですが、触れた、生きてる。ってか格好いい。革ジャン着てる。時間押しまくってるのに、最後まで残ってサインしてくれた。利き手じゃない右手で握手もしてくれた。「会えて嬉しいです」って言ったらあの変わった笑い声でへへって笑ってから、さんきゅ〜って言ってくれた。1日目のサインのときメガネかけてた。髪型かわいい。オーラまで優しくて渋くてイケメン。うう、メガネ(涙)

 

よく今日まで私、生きてたな。

 

実際に会えて、実感が湧いて、あ、本当にこの役者さんのこと、私好きだって確信を持って、4月26日、エンドゲームを観られるなんて、幸せ以外の何モノでもない。

アベンジャーズ』にハマって半年ほどで、あの映画の中にいた人に実際会えた!

これも2018年のトピックス。

 

 

総じて、楽しかったな〜。

というアホみたいな思いしか湧き上がってこない、2018年でした。

みたいじゃなくて、アホなんだなー、アホでいいや〜、へへへ〜。

どうやら厄年だったっぽいんですが、とりあえず笑い事で済まされるような事件だけで乗り切れたかな、と。

米倉涼子勝村政信コンビ(この人たちそろそろコンビでしょう)も相変わらず大好きだから、『リーガルV』も面白かったな。

 

自分の中に渦巻く感情はそりゃ様々あれど、Twitterやこうしてブログやらに書き留めて、知らない他の誰かの目に触れるかもしれない言葉は、好きなこと、楽しいことを伝えるためにありたい、と新年早々思ったりもしています。

「楽しい」という気持ちが、知ってる人でも、見知らぬ誰かにでも伝わって、それが例えば劇場に足を運ぶキッカケになってくれたら、嬉しいな、と。

 

石井ゆかりさんの年報がしっくりきたので、最後に貼っておこう。

2019年も楽しくしよう。よろしくお願いいたします。

lineblog.me

 

ウインド・リバー

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ジェレミー・レナーが、彼の芝居がまた見たいな。と思ってふらっと2回目を見に行って、驚いた。

 

私、この作品の半分ぐらいしか、初見で見ていなかったかもしれない。

 

テキストと映像の肝を掴んで関連づけるチカラが弱いんだと思った。

 

この映画、派手なアクション、派手な感情の動きがあるわけではなく、それこそ深々と冷たく降り積もり、時に荒く吹雪く雪のように、登場人物が行動し、そして想いを、心の痛みを胸に鋭く溜め続けていく。この土地にあるのは、雪と静寂だけ。

 

この静けさの中で動く物語を、人を、私は初見では感じきれていなかったんだなぁ…。

 

コリーがウインドリバー保留地に入った際に、ちらと映るボロボロになったまま掲げられた星条旗。そもそも冒頭の事実に基づく、という一言。

繰り返されるコリーの「俺はハンターだ」という台詞と、終盤コリーがピューマ=獲物を見付けるタイミング…この辺は硬質な脚本のうまさというか、良い意味で映画らしいなと思った。事実に基づくを前提としながら、やっぱりストーリーはあるよ、という映画の強さ。ドキュメンタリーではないのだ。

あと100発100中かよ、というさすがのジェレミーの射撃能力にはキュンとしてしまう。狙った的は弓でもライフルでも外さない。最初に少女の遺体を発見した際に、一瞬、膝をついて顔を下に向けたまま動けなくなるジェレミーもいい。あそこでまた深く傷が抉られたはずなのに、スッと顔を上げて、なすべきことをなす。

コリーが弾丸を自分で作っているシーンとかとても良いよね。すごく職人的で、落ち着きを感じるんだけど、それは「世界ではなく感情と戦う」と言い切った、その彼の静謐な信念と繋がるような気がした。

コリーが心の中で愛する娘と会い続ける為に向き合ことをやめない痛みは、想像を絶するものなのに、彼、静かに、静かに、息を潜めて、雪に身を隠して、戦い続けてる。復讐の仕方も静粛そのもの。その前に、雪山の中、いきなり現れて顎あたりにキツイ一発食らわせてるけど、あれはただただクール。

でも、親友の哀しみに触れるとき、自分の娘を語る時、時に目に涙浮かべて、ものすごく優しい目をする。仲間や家族にだけ心を許している、野生動物みたいだよ。

 

この役を、こういう風に見せるジェレミー・レナーに惹かれたのだなぁ。

 

 

 

 

派手な映画はひゃっはー!!って見ていればどうにかなるけれど、こういう静かな映画をキチンと初見で観る為の力、もっと身に付けたいと思った。

初見の思いをグッと深める発見が多過ぎて、あぁ、映画慣れしてないんだ、だからこんなに見落としてるんだ…と自分に呆れながらも、実はとてつもなくワクワクした。

万引き家族』とかだとここまでこうはならない気もするので、さらに言うと字幕で観る洋画慣れしてないのかもしれない。

よく見られれば見られるほど、深さが増すような、『ウインド・リバー』のような、こんな映画にこれから先でもたくさん出会えるはずなので、自分をイジメて、鍛える甲斐があるなと(笑)、まだまだいける。

 

 

主にじぇれみが与えてくれた、私の中のこの新しい楽しさ、ゆっくり噛み締めながら、味わっていきたい。

ありがとう、Jeremy Renner